日本人の勝負感覚は世界からズレている!?勝負に弱いのは当たり前だった
- 2021.09.14
- コラム

日本にいると気づかないが、外から見ると明らかに何か違うと思うことがある。勝負に対する考え方は分かりやすいと思う。
競馬を見て「勝負しにいった」騎手をよく観察してみて欲しい。強者のようなレース運びで何の小細工もしない姿が見られるはずだ。
しかも、その多くはイマイチ伸び悩んでいる馬で行われていることも同時に分かるようになるだろう。
つまり、日本人における勝負とは小細工しないという無謀さと表裏一体というわけだ。世界の傾向はもちろん逆である。
よく考えなくても勝負は大事なことだから勝つために考えプラスになることは全て実行するのが普通の感覚だろう。
そこまでやってダメだったら仕方ないとなるものだが、日本だと結果がでてから急に色々な意見がでてくることが珍しくない。
日本人は戦略・戦略術に分かりやすい結果を求める傾向があり、納得のいく結果がでないと安易な批判をする傾向がある。
あれはしない方が良かった、あの時こうするのが最善だったなんて批判を受ければ当然フラストレーションがたまる。
ならば、今度は真っ向勝負でいってやるというパターンになるわけだ。それは「お前の言う通りにはならないよ」という証明でもある。
そういう勝負というのは実に表面的ではあるが利益にかなう所が少なくない。
だって無策で負けるのは当然だし、それを実行させた周りが悪いんじゃないかというわけだ。それで上手くいけば、それはそれで儲けものという心理も働く。
つまり、日本人における勝負というのは自己保身のために行うという悪しき慣習も含まれてしまっている。
こういうことをしていると無意識に行動パターンに組み込まれてしまい肝心な所で勝負弱くなってしまうのも納得がいく。
そもそも、結果論だと好き放題に言えてしまうのなぜか。事前に指摘すればいいのに批判が起こるのは必ず事後である。
これは生存バイアスが関係しているのかもしれない。
うまくいった(仮説にかなう)事例を分析する際には、うまくいかなかった事例の存在をなかったことにしがちである。
カンタンに言えば事後だと表面的には完璧な論調に見える意見を言いやすいということなのだろう。
事前に言うと間違うリスクがあるので言わないというわけだ。現代人の失敗に対するリスク感覚がよく表れている。
とにかく失敗しないように立ち回ることが最優先。だからこそ人の失敗は指摘したくなるということなのだろう。
結果として見ると「失敗を避けるのは最終的に損失を生む戦略」だと分かるのだが、ほとんどの人はいま起きた出来事に感情的な反応を示しているだけなのでそう考えない。
失敗しないこと、それは誰にでも可能なカンタンなことだけをするという意味でもある。
FAXを使って連絡する。慣れたことをするのはイージーだろう。難しい仕事も自分がするより下請けに投げるのがラクだ。
どこまでも投げ続け行き着いた先で製作された新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」は今どうしているだろうか。
株価だけ好調なのは税金をジャブジャブ入れているからで、もはや麻薬中毒レベルなので止められないというのが海外アナリストの見方だ。
失敗を許容するマインドがないというだけで、日本はバブル崩壊から30年も経済的に没落し続けることになった。
そして、これは馬券でもよく起きている現象でもある。1~5番人気で馬券を組み立てると8割は当たるので気分がいいし気持ちもラクだ。
だから、その利益にならないコンフォートゾーン(快適な場所)に住みついてしまう。
短期的な結果がそれなりにでているように見えるが、そこにアドバンテージがなければ長期的にジリジリと負け続けるしかない。
最期に、最高の結果をだす、勝負に強くなる戦略に対する自分なりの考えを書き記しておく。
それは、致命的な失敗だけは避け、逆に小さなミスは積極的に許容し、そこから最速で変化に対応する学びを得る。
これを行動の原則にすること。エジソンのように「失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」と言えるようにばれ自然と勝負強さも備わっているはずだ。
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